「一人で、行きたい場所へ」——視覚障がい者の自立移動を実現する「AIスーツケース」 ~当事者の発想から生まれたナビゲーションロボットが拓く、移動アクセシビリティの未来~

インクルーシブ推進・支援団体の取り組み

公開日 

ヒアリング先
一般社団法人AIスーツケース・コンソーシアム及川 政志 氏

目の見えない人が、介助者に付き添われることなく、初めての場所を一人で自由に歩き、行きたい店に立ち寄り、ふと思い立って予定を変える——。そんな「当たり前の自由」を視覚障がい者に届けようとしているのが、スーツケース型のナビゲーションロボット「AIスーツケース」です。搭載されたセンサーとAIが周囲の環境を認識し、対話しながら利用者を目的地まで安全に導きます。2025年の大阪・関西万博では600名以上の視覚障がい者を含む延べ4,800名以上が体験し、総合満足度は94%。視覚障がい者の「移動のアクセシビリティ」という残された大きな社会課題に挑む、一般社団法人 AIスーツケース・コンソーシアム)に話を聞きました。

1.視覚障がい者に残された最大の課題——「移動のアクセシビリティ」

視覚障がい者が抱える困難は、大きく2つに分けられるといいます。1つは「情報のアクセシビリティ」です。目が見えないことで本や新聞、インターネットにアクセスできないという課題は、音声読み上げ技術などの発達により大きく改善され、銀行での引き出しや振り込みといった手続きも一人でできるようになるなど、「読む」ことのバリアはほぼ解消されつつあります。もう1つが「移動のアクセシビリティ」であり、こちらが今なお残る最大の課題です。

現在の移動手段には、それぞれ限界があります。介助者の付き添いには人手が必要で、盲導犬が案内できるのは日常のルートが中心、白杖での単独行動も限定的です。晴眼者のように、自由に行きたいところへ行き、食べたいものを食べ、思いつきで行動を変える——そうした自由な行動ができないのは、「周囲に何があるか」という情報を取得できないからです。自分の周りは安全なのか、人はどれくらいいるのか、どちらの方向に障害物があるのか。それが分からないまま新しい場所に置かれれば、動くことすらできない状況が生じてしまいます。

2.当事者の発想から生まれたAIスーツケース

AIスーツケースの発案者は、自身も視覚障がい者である浅川智恵子氏(日本科学未来館館長)です。出張や旅行で自らもスーツケースを引いて歩く中で、「誰もが当たり前に持ち歩くスーツケースにAIやセンサーを搭載し、ナビゲーションしてくれる先進デバイスになれば、自分一人でもいろいろな場所へ行けるのではないか」と着想したのが2017年。翌年からチームのエンジニアとともに開発が始まり、部品の寄せ集めのような初期プロトタイプから何世代もの研究開発を重ね、万博で使用された第5世代モデルへと進化しました。

コンセプトは明快です。センサーとカメラで周囲の環境を認識してリアルタイムに伝えてくれるだけでなく、利用者が「したいこと」を伝えると、ロボットがすぐに反応して動いてくれる。この双方向のやり取りによって、一人での自由な行動を可能にすることです。世の中には「人の後ろをついてくる」スーツケースはすでにありますが、AIスーツケースはその逆で、人の先頭に立って安全を担保しながら導くという、はるかに難易度の高い技術に挑んでいます。

利用者は対話AIとやり取りしながら行き先を決め、AIスーツケースは地図情報から安全なルートを計算して先導します。移動中は前方の人や予定外の障害物をリアルタイムに認識して回避。音声案内は多言語に対応し、普段から音声を3~4倍速で聞き取る視覚障がい者の利用実態に合わせた高速読み上げにも対応しています。当事者の使い方を熟知した、当事者発ならではの設計といえます。

3.開発・社会実装を推進するコンソーシアムの体制と活動

開発・社会実装を担うのは、2019年12月に設立された一般社団法人 次世代移動支援技術開発コンソーシアム(現:AIスーツケース・コンソーシアム)です。「視覚障がい者が自立して移動し、まち歩きを楽しめるようにするモビリティ・ソリューションをつくる」というビジョンを共有し、アルプスアルパイン株式会社、日本アイ・ビー・エム株式会社、オムロン株式会社、清水建設株式会社の4社が正会員として参画。センサー、AI、制御、建設・アクセシビリティなど各社の専門知見を持ち寄って開発を進めています。

また、開発パートナーの日本科学未来館をはじめ、カーネギーメロン大学、慶應義塾大学や早稲田大学、盲導犬協会などの支援団体、スーツケースメーカーや音声技術・デザインの専門企業といった多様な組織が協力しています。ナビゲーションを実現するソフトウェア群の大部分はオープンソースとして公開されており、将来的には車椅子やショッピングカートなど多様なモビリティに技術を展開し、より多くの人が使えるようにする構想も描かれています。

4.大阪・関西万博での実証——視覚障がい者600名以上が体験

2025年の大阪・関西万博では、会場内の広大なエリアをマッピングし、184日の会期のうち182日間の運用を達成する大規模な実証実験が行われました。体験者は延べ4,800名以上、うち600名以上が視覚障がい者です。視覚障がい者のコミュニティでは情報が広く共有され、「AIスーツケースを第一の目的に万博へ来た」「朝一番でこれを体験して、今回の目的は達成できた」と語る来場者も多かったといいます。アンケートでの総合満足度は94%にのぼりました。

象徴的だったのが、会場オープン前の時間帯に視覚障がい者限定で開催された早朝体験会です。混雑時には安全最優先で速度を抑えざるを得ないAIスーツケースの本来の力を体験してもらう企画で、参加者からは「こんなに速く歩けるのはありがたい。白杖では無理」「普段は外では必ず誰かと一緒に歩くので、一人で歩けるのが不思議な気分」といった声が上がり、参加した子どもからは「大人になったら、AIスーツケースと一緒に遠いところへも気楽に行けたらいいな」という言葉も聞かれました。移動の自由が、人生の楽しみそのものにつながることを示す声といえます。

体験者からは「未来の技術を体感できた」「絶対に障害物にぶつからない安心感があった」といったコメントが数多く寄せられ、NHKや読売新聞、日経新聞、産経新聞、毎日新聞、朝日新聞、テレビ東京など50近くのメディアでも紹介されました。万博協会の事務総長が閉幕インタビューで、将来の発展が期待される技術として空飛ぶクルマ、iPS細胞と並んでAIスーツケースを挙げたことも、その存在感を物語っています。

もう1つの大きな成果が、社会受容性に関する気付きです。万博では視覚障がいの有無を問わず体験を開放し、体験者の多数は目の見える人々でした。「視覚障がい者のための技術を晴眼者が使うことに意味があるか」というアンケートには97%が「意義がある」と回答。いつか自分が同じ立場になるかもしれないという想像や、街中でこの技術を見かけたときに適切に支援できるようになるという理解が広がることこそ、新しい支援技術が社会に受け入れられるための土台になります。

5.「福祉機器」の枠を超えて——社会普及に向けて

コンソーシアムには、AIスーツケースを「福祉機器」にはしたくないという明確な思想があります。視覚障がいがあっても、一人の人として普通にまち歩きや食べ歩きを楽しみたいだけであり、福祉サービスを提供してもらいたいわけではない。だからこそ、視覚障がい者に限らず、高齢者や、初めて訪れた街を案内してほしい人など、誰もが使えるソリューションとして育てていくことで、ユーザー層を広げていく考えです。

適用先として想定されているのは、美術館・博物館・科学館、スポーツ施設、自治体のコミュニティ施設といった公共性の高い施設です。過去には日本橋の複合商業施設で複数棟・複数フロアをマッピングした実証を行っており、駅を降りた人がAIスーツケースを借りて買い物や食事を楽しむような使い方も技術的には可能な段階にあります。発展形としては、ナビゲーション機能付き車椅子による病院内の移動支援や、空港ターミナル内の移動支援も視野に入っており、米国ではピッツバーグ空港のターミナルをマッピングした実証も行われました。

実社会への普及に向けては、車道や自転車が混在する環境での安全性検証、新しいカテゴリーの機器に対応した制度整備、社会の理解の醸成、そしてビジネスモデルの構築といった課題が残されています。それでも、万博で示された当事者の喜びの声と高い満足度は、この技術が確かに人の生活を変えることを証明しました。「見えないから行けない」を「一人でも行ける」に変えていく挑戦は、これからが本番です。

一般社団法人AIスーツケース・コンソーシアム:https://caamp.jp/

コメント

  • 須藤 慎

    記事作成者

    株式会社キャンパスクリエイト・専務取締役・プロデューサー

    本Webサイトの運営担当者です。2005年から、産学官連携や産業振興の業務に携わっています。

    コメント

    今回のヒアリングで最初に目を開かされたのは、視覚障がい者が抱える困難は「情報」と「移動」の2つに大別され、音声読み上げ技術などの発達により情報アクセシビリティの課題がほぼ解決に近づいた今、移動のアクセシビリティこそが残された最大の課題である、という整理でした。AIスーツケースは、まさにこの「最後の壁」に正面から挑むソリューションです。周囲に何があるか分からないために一人で行動できない根本原因を、センシングとAIと対話の力で解きほぐしていく発想に、強い説得力を感じました。
    何より心を動かされたのは、万博の早朝体験会のエピソードです。視覚障がいのある参加者が「白杖では出せないスピードで歩けるのが楽しい」「いつもは必ず誰かと一緒なのに、一人で歩けるのが不思議」と笑顔で語り、子どもが「大人になったらAIスーツケースと遠いところへ行きたい」と夢を口にする。移動の自由とは単なる利便性ではなく、人生の楽しみと尊厳の回復なのだと実感させられました。
    「福祉機器にはしたくない」という言葉も強く印象に残っています。障がいをお持ちの方だけでなく、高齢者や初めて街を訪れる人など、誰もが使えるソリューションとして育てていく。この設計思想は、支援技術を特別なものにせず社会に溶け込ませていくうえで、インクルーシブデザインの本質を突くものだと感じます。晴眼者にも体験を開放し、97%から「意義がある」との回答を得た万博での取組は、社会受容性を育てるモデルケースでもあります。
    病院や空港、商業施設への展開、車椅子など他のモビリティへの技術転用と、可能性はさらに広がっています。当事者自身の発案から生まれ、当事者の声とともに磨かれてきたAIスーツケースを、視覚障がい者の自立移動を支え、誰もが自由に移動できる社会への道を拓く取組として、強く推薦いたします。

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