インクルーシブ教育システムが育む 共生社会の担い手たち
公開日 更新日
- ヒアリング先
- 国立特別支援教育総合研究所 ウェルビーイングS&Iセンター久保山 茂樹 氏
障害の有無にかかわらず、すべての子どもが共に学ぶことを目指す「インクルーシブ教育システム」。国連の障害者権利条約を起点に、日本でも法整備や教育改革が進んでいます。その研究・推進をリードする国立特別支援教育総合研究所ウェルビーイングS&Iセンターの取り組みを通じて、日本のインクルーシブ教育システムの現在と未来をひも解きます。
インクルーシブ教育システムとは
「インクルーシブ教育システム」という言葉は、国連の「障害者の権利に関する条約」第24条に由来します。同条約では、人間の多様性の尊重を強化し、障害者が精神的および身体的な能力等を可能な最大限度まで発達させ、自由な社会に効果的に参加することを可能とするという目的のもと、障害のある者と障害のない者が共に学ぶ仕組みがインクルーシブ教育システムとして定義されています。
具体的には、次の3つの要件が必要とされています。
- 障害のある者が一般的な教育制度(general education system)から排除されないこと
- 自己の生活する地域において初等中等教育の機会が与えられること
- 個人に必要な「合理的配慮」(reasonable accommodation)が提供されること
日本では、平成24年7月に中央教育審議会初等中等教育分科会が「共生社会の形成に向けたインクルーシブ教育システム構築のための特別支援教育の推進(報告)」を取りまとめ、この定義を踏まえた国内の推進方針が示されました。共生社会とは、誰もが相互に人格と個性を尊重し支え合い、人々の多様な在り方を相互に認め合える全員参加型の社会を指します。インクルーシブ教育システムは、こうした社会の実現を教育の場から支える重要な仕組みとして位置づけられています。
インクルーシブ教育システムが必要とされる理由
インクルーシブ教育システムが日本で注目されるようになった背景には、国連の動向と日本の国内法整備の両輪があります。平成18年(2006年)に国連で障害者の権利に関する条約が採択され、日本は平成19年に署名、平成26年に批准しました。この間、障害者差別解消法の成立(平成25年)や学校教育法施行令の改正など、関連する国内制度の整備が着実に進められてきました。
また、令和5年(2023年)に閣議決定された「教育振興基本計画」では、「多様な教育ニーズへの対応と社会的包摂」が目標として掲げられ、社会的包摂(インクルーシブ)の観点から個別最適な学びの機会を確保するとともに、すべての子どもたちが多様性を認め合い、互いに高め合う協働的な学びの機会を確保することが明記されています。さらに「多様性の尊重によるマジョリティの変容を重視する」という文言が盛り込まれたことは、インクルーシブ教育の本質を示すものとして注目されます。
現在進行中の学習指導要領改訂においても、次期学習指導要領のキーワードとして「多様性の包摂(Equity)」が明確に位置づけられています。中央教育審議会初等中等教育分科会教育課程企画特別部会(2026年1月)の「論点整理」では、「主体的・対話的で深い学びの実装(Excellence)」「多様性の包摂(Equity)」「実現可能性の確保(Feasibility)」の3本柱が示されており、すべての学校・すべての教科において多様性を包摂する視点が織り込まれていく方向性が鮮明となっています。
さらに、実際の教室の実態を見ると、例えば小学校の35人学級においても、学習面や行動面で困難を示す子どもが約3.6人(10.4%)、不登校傾向の子どもが約4.1人(11.8%)、家で主に日本語を話さない子どもが約0.5人(1.5%)など、実に多様な子どもたちが在籍していることが明らかになっています(中央教育審議会「論点整理」2026年1月)。「通常の学級」という名のもとに、実は多様なニーズを持つ子どもたちが既に多数存在しているのが現実であり、一人一人の子どもを大切にする教育の在り方を改めて問い直すことが求められています。
ウェルビーイングS&Iセンターの事業内容と活動例
国立特別支援教育総合研究所(NISE)では、平成28年(2016年)にインクルーシブ教育システム推進センターを設置し、国内外のインクルーシブ教育に関する研究・普及活動を担ってきました。令和8年(2026年)4月には、特別支援教育を取り巻く国内外の情勢の変化を踏まえ、教育現場の課題や国の政策的課題に柔軟かつ機動的・組織的に対応するため「ウェルビーイングS&Iセンター」へと発展的に改組されました。新センターでは文部科学省との連携強化を図るユニットを新設するなど体制の強化を行い、引き続き、インクルーシブ教育システムの充実に向けて中核的な役割を担っていきます。
※S&Iとは,Solution & Innovation(課題解決&革新),Inclusion & Support(共に学ぶ&サポート), Individualization & Specialization(個別化&専門性)の3つの意味
①地域共創事業:自治体とともにインクルーシブを推進
地域共創事業は、各都道府県・市区町村の教育委員会等と連携・協働し、地域のインクルーシブ教育システム構築を支援する事業で、令和8年度から開始されました。前身である地域支援事業には、令和3年度から令和7年度までの5年間で延べ39の自治体・63件の参加がありました。担当研究員が各自治体に配置されて、それぞれの地域の実情に応じた支援が行われました。各年度の成果報告書はウェブサイトで公開されており、他の自治体の取り組みの参考としても活用されています。
② インクルDB:合理的配慮の実例データベース
「インクルDB」は、学校における合理的配慮の提供事例を590件にわたってデータベース化し、オンラインで無償公開しているサービスです。年間13万件以上の事例ダウンロード実績を誇り、学校現場や教育委員会において幅広く活用されています。また、インクルーシブ教育に関する情報や実践事例の発信と活用の促進を目的としたオンラインセミナーは年間1,000件規模の視聴者を集めており、現場への情報普及に大きく貢献しています。合理的配慮の提供は、すべての子どもが学ぶ権利を保障するうえで不可欠なものとして重要度を増しています。
③ 国際連携:海外の情報収集と研究交流
国際ユニットでは、8カ国におけるインクルーシブ教育の情報を収集・分析し、国内外に向けて発信しています。韓国国立特殊教育院とは相互訪問による情報交換を継続的に行い、フランス国立インクルーシブ教育高等研究所とは令和8年度から共同研究が開始されました。また、JICAの研修プログラムを通じてアジア・アフリカ諸国からの研修生を受け入れており、日本のインクルーシブ教育システムの経験を国際的に共有する役割も担っています。
④教育現場の課題への機動的な対応
課題対応ユニットでは、教育現場の課題に柔軟かつ機動的に対応した研究、研修、情報発信を行っています。
現在、以下のプロジェクトチームが活動しています。
・盲ろうプロジェクトチーム
・強度行動障害プロジェクトチーム
・キャリア課題対応ユニットプロジェクトチーム
インクルーシブ教育が社会で普及していくためのポイント
日本のインクルーシブ教育システムは、次の2本の柱を基本としています。第1の柱は「障害のある子どもと障害のない子どもが、可能な限り共に教育を受けられる学びの場の整備」であり、第2の柱は「障害のある子どもの自立と社会参加を見据え、一人一人の教育的ニーズに最も的確に応える指導を提供するための、連続性のある多様な学びの場の充実・整備」です(「新しい時代の特別支援教育の在り方に関する有識者会議 報告」令和3年1月)。
このうち、普及のカギとなるのが第1の柱、すなわち通常の学級がどこまで変わっていけるかという点です。現行の小学校学習指導要領の前文には、「一人一人の児童が、自分のよさや可能性を認識するとともに、あらゆる他者を価値のある存在として尊重し、多様な人々と協働しながら様々な社会的変化を乗り越え、豊かな人生を切り拓き、持続可能な社会の創り手となることができるようにすることが求められる」と明記されています。インクルーシブ教育システムの推進は、まさにこの理念を学校の日常に根付かせることにほかなりません。
重要なのは、「マジョリティ(多数派)が変わる」という視点です。これまでは、障害のある子ども(少数派)が多数派に合わせることを前提とした支援が中心でした。しかしこれからは、子ども理解を深め、保育・授業の改善を通じて、多数派の子どもたちや教師・保育者の側が変わっていくことが求められます。多様な子どもたちが共に学ぶことで一人一人の意欲が高まり、可能性が開花し、個性が輝く教育が実現するからです。
「子どもたちが大人になって活躍する10年後・20年後の社会をどう描くか」という問いが、インクルーシブ教育を推進する原動力です。インクルーシブ教育システムの構築は目的ではなく、誰もが相互に人格と個性を尊重し支え合う共生社会の実現を目指す手段です。学校・家庭・地域・企業を含むすべての人が当事者としてこの問いに向き合い、知恵を集めて考え、実践していくことが、インクルーシブな社会への着実な一歩となります。
【参考】
国立特別支援教育総合研究所 ウェルビーイングS&Iセンターhttps://www.nise.go.jp/wsi/
コメント
-
本Webサイトの運営担当者です。2005年から、産学官連携や産業振興の業務に携わっています。
コメント
インクルーシブ教育システムについてお話をうかがいながら、未来のインクルーシブな社会づくりにおいて、教育課程がその礎になるのだということを強く感じました。学校という場で日々積み重ねられる経験が、10年後・20年後の共生社会の土台をつくるのだという視点は、教育の持つ力を改めて実感させてくれるものでした。
特に印象的だったのは、「マジョリティが変わっていくことが、マイノリティの生きやすい社会づくりに繋がっていく」という視点です。これまでは、障害のある人や少数派の子どもたちが多数派の側に合わせることが当然とされてきた面がありました。しかし本来は、多数派の側こそが多様性を認め、変わっていくことが必要なのだということを、あらためて腑に落ちた思いがしました。まさに現在、今後の日本の社会に最も必要な考え方であると思います。
一方で、障害の有無にかかわらず等しく教育を受けられる日本の良さも改めて感じました。たとえば障害が重い子どもであっても教育の対象として丁寧に向き合ってきた日本の特別支援教育の蓄積は、国際的に見ても誇るべきものです。インクルーシブな社会を目指しながら、一人一人の子どものニーズに的確に応えるという2つの柱を粘り強く追求してきた歩みは、決して揺るがせにできないものだと感じます。
ウェルビーイングS&Iセンターでは、地域の自治体と連携した実践支援や、合理的配慮に関するデータベースの公開、海外研究機関との共同研究など、様々な調査・研究に基づく広報物や成果を積極的に発信されています。ご関心をお持ちいただいた方は、ぜひ国立特別支援教育総合研究所のウェブサイトをご覧ください。こうした個人の取り組みの集合体が、マジョリティの意識変革、ひいてはインクルーシブな日本の未来に繋がっていくと確信しています。このコメントと投稿者はデジタル証明書(VC)によって真正性が保証されています。
このコメントと投稿者情報は、「改竄されていないか」や「正当な投稿者か」などを暗号学的に検証できる〈Verifiable Credential(VC)〉によって保証されています。
それらがシステム上で検証された後に記事にコメントとして表示されています。VCとは
VC(Verifiable Credential)は、デジタル空間で「改ざんが検知可能」かつ「即座に検証可能」な証明書です。
紙の証明書やPDFと異なり、暗号技術により真正性が数学的に保証されており、W3Cにより制定された国際標準規格です。










須藤 慎
記事作成者
株式会社キャンパスクリエイト・専務取締役・プロデューサー