Case Studies

連携取り組み事例

全国の取り組み事例

VRを治療の選択肢に──薬事承認への挑戦が切り拓く医療の未来

はじめに

VRを「治療の選択肢」として世に送り出す――そのためには、「薬事承認」という巨大な壁を越える必要があります。株式会社BiPSEE(以下、同社)と高知大学医学部(以下、高知大学)が挑んだのは、単なる共同研究ではなく、複数の機関と連携して研究開発の基盤そのものを築き上げることでした。

同社が開発する「VRデジタル療法(Digital Therapeutics: DTx)」は、抑うつの改善を目的としたデジタル治療プログラムです。臨床現場のリアルな課題意識から生まれ、薬事承認に向けた本格的な取り組みとして進められているこの挑戦は、いかにして大学を巻き込み、未来の医療を切り拓く体制を築き上げたのか――。同社代表取締役兼CEOの松村雅代氏に伺いました。

VRとAIで、医療に新たな選択肢を

同社は、「VRとAIを活用し、心に寄り添う新しい医療の形を創造する」ことを目指す医療系スタートアップです。心療内科医であり代表取締役社長兼CEOの松村雅代氏が、臨床現場での課題意識を原点に、うつ病治療に向けた実用的な「VRデジタル療法(DTx)」の開発を推進しています。その実現には医学的エビデンスの構築が欠かせないことから、大学との強固な連携を事業の中核に据え、次世代医療の基盤づくりに取り組んでいます。

すべての原点―臨床現場で感じた「手詰まり感」

御社の事業の核である「VRデジタル療法」について、そして創業の背景についてお聞かせください

松村氏▼

私が医療に携わるようになったのは、医師になる前の社会人経験がきっかけです。リクルートで勤務していた際に体調を崩したのですが、その時の医療のあり方に納得できず、「患者自身が納得感を持てる医療」を実現するには、医師に任せているだけではいけないと感じ、まずは医療経営学の道に進みました。その後、最終的には自分自身がそれを実現するためには医学的なバックボーンが必要だと思い、医師を志しました。

医師としては、働く人のメンタルヘルスに関心があり、心療内科医として勤務する中で、特に発達障害を背景に持つ患者さんを多く担当しました。彼らの多くは抑うつ状態となり治療が必要になるのですが、既存の薬物療法や、言葉で論理的に説明する認知行動療法では効果が上がらず、途中で断念されてしまう方も少なくありませんでした。提案できる次の選択肢がないという「手詰まり感」は、臨床医として非常に苦しい経験でした。

そんな中、2016年にプログラミングスクールの立ち上げに関わる経験があり、VR技術と出会いました。その時、直感的に「臨床課題を解決できるかもしれない」と思ったのです。

VRは、言葉での説明とは真逆の、体験を通じて直感的に理解できる非常に有能な「学習マシーン」です。シミュレーションされた世界だからこそ、予期せぬ出来事が起こらない「心理的安全性」を保ちながら、誰もが根源的な学びに近い形で治療スキルを身につけられる。

そこに大きな可能性を感じたことが、創業の原点になりました。

薬事承認への道―なぜ「組織設立」という形が必要だったのか

VRを「治療」として社会に届ける上で、大学との連携はどのように進められたのでしょうか?

松村氏▼

VRを単なるコンテンツではなく、医師が処方する「治療」にする…そのゴールを達成するためには、「薬事承認」を得ることが不可欠であり、そのためには大学と連携し、信頼性の高いエビデンスを構築する必要がありました。

ちょうどその頃、幸運なご縁がありました。弊社のエンジェル投資家のお一人が高知大学のご出身で、その方を通じて親交のあった医学部長をご紹介いただいたのです。非常にスタートアップに理解のある方で、エビデンス構築に向けてアカデミアと連携したいという話をしたところ、「それはいいじゃないか」と、話が一気に進みました。

 

当初の目的は、研究基盤を整えるための共同研究にとどまっていました。ところが高知の皆さんと議論を重ねるうちに、もっと大きな可能性が見えてきたのです。ひとつは、地方都市である高知で成功モデルを築ければ、それ自体が「全国どこでも普及できる」という再現性の証明になること。もうひとつは、高知には大学や県庁、地域の方々が一体となって協力する風土があり、一つのつながりが次々と広がっていくという特徴があることでした。こうした地域性こそが、プロジェクトを前進させる大きな力になると感じました。

こうしたご縁と環境に恵まれ、やがて複数の組織や自治体の協力を得られるようになり、結果として単なる共同研究を超えた「研究開発組織の設立」という、より強固な体制へと発展していったのです。

プロジェクトの現在地―VRデジタル療法の成果と広がり

現在、この連携を通じてどのような成果が生まれていますか?

松村氏▼

現在開発しているうつ病向けのVRデジタル療法は、厚生労働省から画期的な新薬候補に与えられる「優先審査品目」に選定されています(医薬機審発0116第4号)。これにより、通常の薬事承認プロセスよりもスピード感をもって手続きを進められていると感じています。

さらに、先行して実施した臨床試験では統計的に有意な治療効果が得られ、今年7月に開催された第22回日本うつ病学会総会でも成果を発表しました。

我々のプロダクトは、VRとスマートフォンアプリが連携する「二人三脚」の仕組みになっています。患者さんは自宅で毎日5分ほどVRプログラムを体験し、抑うつの原因となる思考の受け止め方の癖を改善するスキルを学びます。そして、そのスキルを日常生活で実践するサポートや症状の記録は、スマートフォンアプリが担います。

この取り組みは研究だけにとどまりません。高知大学医学部の先生方のネットワークを通じて地域のクリニックともつながり、臨床研究に参加してくださる患者さんのご紹介へと広がりました。さらに、大学が市内に設けたイノベーション拠点では、私たちだけでは出会えなかったスタートアップや企業、医師、研究者の方々との新しいネットワークが自然に生まれています。

こうした連携をさらに深め、一日も早く薬事承認を得て、患者さんに届けられるよう取り組んでいきたいと考えています。

未来への展望と、読者へのメッセージ

この産学連携を通じて、どのような未来を描いていますか?

松村氏▼

まず業界全体の視点で申し上げると、弊社だけでなく「デジタル療法」という新しい選択肢を社会に根付かせることが重要だと考えています。これは患者さんにとって大きなメリットになるはずですし、先行する企業とも連携しながら業界全体を盛り上げていく活動にも力を入れていきたいと思います。

一方で、私たち自身の会社としては、その先により大きなビジョンを描いています。冒頭でお話しした「人の力を引き出す」という想いは、疾患の有無にかかわらないものです。将来的には、すべての人が本来持っている自らを癒す力を引き出し、高めていくためのソリューションを、VRやAIの力で展開していきたいと考えています。

最後に、これから産学連携を考えている読者へのメッセージをお願いします!

松村氏▼

アカデミアや公共機関というと、少し堅いイメージを持たれるかもしれません。しかし、そこには非常に大きな熱量を持った方々がたくさんいます。組織としての論理ももちろん大切ですが、たった一人の熱量が思いもよらない形で物事を大きく動かすこともあります。

だからこそ、戦略的に考えるだけでなく、イベントなどに足を運び、人と出会い、共感から始まる連携の可能性も大切にしていただければと思います。

まとめ

同社の産学連携は、単なるプロダクト開発のための共同研究ではありません。「VRを治療の選択肢にする」という挑戦を実現するために、薬事承認という大きな壁を越える基盤そのものを、大学と共に築き上げる試みです。松村氏の臨床現場での課題意識から始まったこの挑戦は、多様な知と熱量を束ねる強固なパートナーシップによって、これからも前進していきます。

取材先: 株式会社BiPSEE

  • 法人名:株式会社BiPSEE
  • 会社ホームページ:https://bipsee.co.jp/
  • 代表取締役社長兼 CEO:松村 雅代
  • 設立日:2017年07月
  • 主な事業:医科(心療内科、精神科、小児科、呼吸器内科、消化器内科)や法人、療育機関などを対象としたVRデジタルソリューションの開発