全国の取り組み事例
育児データから解き明かす乳幼児の実像。ファーストアセントと慶應小児科が切り拓く、小児科学の未来。

はじめに
「テクノロジーで子育てを変える」をミッションに掲げる、株式会社ファーストアセント(以下、同社)。2012年の創業時より、育児記録アプリや寝かしつけ支援製品など、子育て支援サービスの提供を通して子育てのDXを推進してきました。原点は、同社代表である服部氏自身の子育て経験。「子育てを助けられることをやろう」と、研究に重きをおきながら会社づくりやサービスづくりを心がけています。
そんな同社の連携先は、1920年の創設から100年以上の歴史を誇る、慶應義塾大学医学部小児科学教室(以下、慶應)。400名弱の小児科医が属する同教室は、全国に82ある医学部小児科の中でも最大規模です。同大学病院には現在、約50名の小児科医が勤務。専門性の高い医療の提供や各種研究、人材育成を進めているなか、近年はデータサイエンス研究にも注力しています。
2023年9月、ベビーテックのフロントランナーである同社と小児医療のスペシャリスト集団である慶應はチームを結成。共同研究「慶應デジタル小児医学プロジェクト(KDiP)」を開始しました。今回は、ファーストアセント 代表取締役社長の服部伴之氏と慶應義塾大学医学部 小児科 主任教授の鳴海覚志氏に、共同研究に至る経緯や具体的な取り組み内容、研究から得られた成果についてお話をお聞きしました。
育児データを小児科学に役立てたい
まずは、チーム結成や共同研究に至るまでの経緯を教えてください
服部氏▼
当社の育児アプリ「パパっと育児」の利用者が数千人、数万人と増え、膨大なデータが蓄積されるにつれて、この資産をどうにか活かせる場所はないかと考えるようになりました。赤ちゃんが「どのくらいの間隔でミルクを飲むのか」「実際にはどのくらい寝ているのか」といった統計的なデータは、小児医療においても役立つ情報かもしれない。そう考えて一緒にデータを見ていただける先生を探し、たどり着いたのが鳴海先生でした。
鳴海氏▼
共通の知り合いを介して服部さんと知り合ったのは、2015年頃のことです。当時は私もまだ大量のデータを分析した経験がなかったので、なかなか活用イメージが湧かない部分もありました。しかし、新しいことにチャレンジする気持ちを常に持ちたいと思う中で服部さんのすばらしい熱量を前にし、「これはきっといい取り組みになる」と思えたことが歩みを進めるきっかけになりました。
最初の出会いから共同研究が開始される2023年までの歩みについても教えてください
鳴海氏▼
当初は、早々に慶應で共同研究を始められたらと思っていました。ところが2016年4月に私が国立成育医療研究センター(以下、成育)に異動となり、再び慶應に戻ったのが2023年4月でした。そのため、実際には慶應よりも前に成育時代に共同研究を開始していました。
ただ、成育では私が特定の分野に特化した研究チームに所属していたこともあり、研究できる範囲が限られていました。慶應では小児に関することであれば幅広く研究できるので、自由度が増しましたね。多様な専門性をもつ先生たちとあらゆる角度から検討ができるようになり、データをより一層活用した研究ができていると思います。
プロジェクトへの期待感や同僚の先生方から聞かれる声にはどんなものがありましたか?
鳴海氏▼
同社からご提供いただいているのは、「赤ちゃんは1日何CCのミルクを飲んでいるのか」「ミルクなのか母乳なのか」「排便回数はどのくらいか」といった、小児科医であれば誰もが関心を持つデータであり、日本の赤ちゃんの実像です。専門性の垣根を越えて、小児科医みんなで取り組める共通基盤ができたことは、小児科学教室としてとてもありがたく思っています。
他の診療科の先生方からも、「小児科はいいパートナーがいて恵まれているね」と言われることもあります。営利企業である民間企業がここまで詳細にデータを出してくれることは滅多にありません。産学共同研究という枠組みを作れたことは私たち慶應小児科にとっても財産ですし、同社と協働できることが、教室全体にとってパワーの源の1つになっていると感じています。
データ提供から解析方法の提案まで
具体的にはどのようにプロジェクトを進めているのでしょうか?
服部氏▼
当社は溜まったデータを定期的に大学側にお渡ししています。もちろん、ユーザーが入力した情報をすべて提供しているわけではありません。日記や詳細な記録メモなどは個人情報が含まれるため、すべて見えないように加工する必要があるためです。一方で、このような情報も知りたい、こんな研究がやりたいというリクエストやご相談を受けた際には、必要なデータを整理してお渡ししています。
鳴海氏▼
現在は10人ほどの研究者がデータに直接アクセスしています。例えば、神経が専門の者は子どもの睡眠時間と発達について、普段から腎臓の研究をしている者は排尿や排便の回数の変化について、各自の専門性を活かしたテーマを設定しながら研究を進めています。テーマが異なっても、解析手法は共通です。月に一度のミーティングでは互いの進捗状況を確認したり、こんなことができるのでは?と意見を言い合ったりしています。
共同でプロジェクトを進めるうえで難しさや大変さを感じた場面があれば教えてください
鳴海氏▼
正直なところ、共同研究において私たちが難しさや大変さを感じる場面は特にないですね。ファーストアセントさんが個人情報の管理を徹底したうえで私たちのニーズに合ったデータを提供してくださるので、心置きなくデータを使えています。加えて、ただデータを提供してくださるだけでなく、視点の違う解析方法を提案いただけることがあり、とても刺激になっています。解像度の高いやり取りができていることが、研究者サイドとしてはこのうえなくありがたいですね。
一方で、研究で得られた成果の発信方法については試行錯誤しているところです。育児に向き合われている日本全国のお父さんお母さんに、どのように情報を届けたら良いか。大学としては論文を書いたりプレスリリースを出したりはしていますが、一般の方々にも必要な情報を正しく届けられたらと思っています。
服部氏▼
企業側としてはコストの捻出が一番の課題であり、大変さを感じる部分です。こうした取り組みがもっと広まって、国や自治体などから補助金が出たり予算がついたりすれば、やれることはもっと増えると思います。
また、それなりの規模のシステムをどうリレーションさせるのが正しいのかを理解しながら、必要なデータを取る作業には高度な技術レベルが求められます。それらをメンバーに周知して作業を進めることには一定の苦労が伴うものです。しかし、共同研究を通して当社としても新たな知見や学びが得られたり、実態が把握できたり、外部へ情報提供するうえで技術力の向上も図れたりするため、当社としても前向きに取り組んでいます。
データを科学的に正しく分析して発表する
具体的な検証から明らかになったこととしては、どのようなものがありますか?
鳴海氏▼
乳幼児のワクチン接種後の発熱の発生状況について行った検証からは、肺炎球菌ワクチンと四種混合ワクチンを同時に接種した場合、38℃以上の発熱は約17%で特に高く、接種当日または翌日に集中していることが分かりました。また、発熱頻度は生後3~4か月の乳児、夏に接種した場合、および男児で高い傾向も確認されました。この研究成果は2025年7月29日に国際学術雑誌Vaccineオンライン版にも掲載されたほか、論文やプレスリリースを通して対外的に発信しています。
赤ちゃんの生活実態に根差したデータが着々と溜まってきている中で、例えば排せつ頻度や睡眠時間などは個人差がかなり大きいことが分かってきました。最近は親世代と同居していなかったり、離れてくらしていたりと孤独に育児をしている方も多いです。我が子の排せつ回数や睡眠時間が問題のない範囲なのか分からず、不安に思う方も少なくないでしょう。そんな不安の種を取り除いて、お父さんお母さんに少しでも安心して育児してもらうために、私たちはデータを科学的に正しく分析して発表していきたいと思っています。
プロジェクトへの取り組みを通して、企業としてはどのような成果や効果を感じますか?
服部氏▼
共同研究から得られた情報は、アプリを通してきちんとユーザーに伝えるようにしています。アプリだけでは本当にお父さんお母さんに届いているのか感じ取れない部分もあるのですが、当社はユーザーの方々とリアルで会える場面が多くあり、発信した情報に対する感謝の声も多くいただいています。研究に対して貢献したいと言って下さる方もいて、とてもありがたいです。ご協力いただいているユーザーの方々にも一定の恩は返せていると感じつつ、もっと貢献していかなくてはと感じています。
大学、あるいは医療の現場で感じる成果や効果についてはいかがでしょうか?
鳴海氏▼
例えば、ワクチン接種で生後2か月のお子さんを連れて来院された親御さんに対しては「15人に1人くらいの割合でお熱が出るかもしれませんが、通常は半日くらいで治まるのであまり心配しなくて良いですよ」といった具合に、できるだけ具体的にお話ししています。共同研究から得られた知見は、保護者の方に分かりやすく説明をするためのツールとしても役立っているのです。
医学の教科書に書かれているのは、ほとんどが病気のこと。つまり、小児科学で言えば健康なお子さんたちがどんな生活をしてどのように成長しているかといった実態がすっぽり抜け落ちているのです。そうした中、育児アプリデータのおかげで健康で普通に暮らしているお子さんの実態を知ることができてきていますし、まだ解明できていないことも、今後分かってくるのではと期待しています。
文化や価値観が異なる組織と協働するからこそ得られる学び

今後のサービスや研究に対する展望を教えてください
服部氏▼
最近では生成AIの広まりもあり、ネット上で育児の相談をするとアドバイスが簡単にもらえる時代になってきました。でも、そこで得られる情報は必ずしも正しくないと思っています。だからこそ当社としては、きちんとした裏付けのある、エビデンスに基づいた育児サポートを提供していきたいです。サービスをブラッシュアップしていき、アプリのユーザーに対して、育児の助けになる正しい情報を伝えていきたいですね。共同研究においては、データを幅広く研究に活用していただいている慶應大学さんを今後も全力でサポートしていきたいです。
鳴海氏▼
最近は長期的なデータにも関心を持っています。例えば、人見知りが早かった子とゆっくりだった子で4歳や5歳になったときの発達の状態は同じなのかというように、年数が経つほどデータの解像度が増していくと思うんです。この共同研究を通して今後も新たな発見が出てくるのでは、と期待しています。
私たちの一番の願いは、超少子化社会の中でお父さんやお母さんが、不安だからあきらめたり我慢したりすることがなくなって、子どもたちをのびのびと育てられるような環境づくりに貢献できることです。そのためにも、パートナー企業であるファーストアセントさんの存在が欠かせません。ここまでオープンな姿勢でアカデミアと付き合ってくれている企業は他にいないのでは、と思うほど協力的です。同社からいただいているチャンスを活かしながら、共同研究や小児科学の発展に寄与していきたいと思います。
最後に改めて、産学連携のメリットを教えてください!
服部氏▼
特に医療分野の場合、大学との連携は信頼獲得につながります。当社が統計的に取ったデータと、大学の先生方がデータを見て、先生方の名前で書かれた論文は、影響度がまったく異なるものです。また、実際に連携してプロジェクトを進める中で、データの見方や出し方も変わりました。医療の観点から正しくデータを見られるようになり、私たちもレベルアップできたことが、当社としてもとても良かったですね。
鳴海氏▼
私たち研究者はどうしても、自分の心地良い環境の中で勝負をしたがる人が多いと思います。しかし、今回の共同研究を通して、文化や価値観が異なる組織や人と協働することで得られる学びがいかに多いかを実感しました。研究では常に新しいものを取り入れたりチャレンジをしたりしなければならない中で、スタートアップ企業のビジネスに対する姿勢から学べるものがとても多かったです。論文化できている成果とは別に、マインドの面でも無形財産とも言えるくらいの成果や効果が生まれていると思います。
まとめ
蓄積されるデータを小児科学に活かしてほしいと願いながら協力を惜しまないファーストアセント社と、あらゆる専門性をもつ小児科医がデータを存分に活用しながら研究を進める慶應大。互いのニーズと願いががっちりと噛み合う連携姿からは、強固なパートナーシップが伺えました。
超少子化、そして情報過多の時代だからこそ求められる、正しい育児情報。小さな子どもを育てる一親としても、今後も研究成果から目が離せません。なにより、本プロジェクトのように世の中で必要とされているものを生み出している方々の努力と成果が、広く知れ渡ることを期待します。
取材先: 株式会社ファーストアセント, 学校法人慶應義塾
- 法人名:株式会社ファーストアセント(First-Ascent Inc.)
- 会社ホームページ:https://first-ascent.jp/
- 代表取締役社長:服部 伴之
- 設立日:2012年10月23日
- 主な事業:自社サービス事業(育児記録アプリ等の提供)、子育て支援サービス開発事業、共同開発事業、機械学習などによるデータ解析事業
- 法人名:学校法人慶應義塾
- 大学ホームページ:https://www.keio.ac.jp/ja/(慶應義塾大学医学部 小児科ホームページ:http://pedia.med.keio.ac.jp/wp/)
- 塾長:伊藤 公平
- 創立:1858年10月
